2013年03月05日
スペイン巡礼の旅とは・・・
25日間pepeの歩いたスペイン巡礼の旅、拙文でしたが如何でしたか?
さて、そのスペイン巡礼の旅、正確にはEl Camino de Santiago de Composteraと言います。
イベリア半島で布教していたキリストの12使徒の一人聖ヤコブ(スペイン語だはサンティアゴ、フランスではサンジャック、
英語だとセント・ジェームス)は、AC45年エルサレムに戻ったとき、時の王ヘロデにより惨殺されたが、
その遺体を弟子たちが小船に乗せ、着いたところがスペインのガリシャ地方。
ここに埋葬されていたが813年に彼の墓と遺体が発見され、今サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂には
このとき見つかった遺体が安置されている。
その為ちょうど8C~15Cに起こったレコンキスタの支柱となって世界各国から多くのペレグリーノ巡礼が
詣でるようになったんです。
最盛期の11Cには年間50万人を越えたと言う。
巡礼の道にはpepeも歩いた世界遺産のフランス人の道のほか、北の道、海の道、銀の道、そしてポルトガルからの道と
5つの道がありますね。
毎年10万以上の巡礼たちが来るんですが、アジアは年間400人位、その内韓国人が80%を占めてます。
日本人はまだまだ100人に届くかどうかと言われてますね。
多くはクリスチャンですが、信仰が目的でなくpepeみたいに今までの人生を振り返ってみようとの目的の
巡礼も多かったですね。
こんな感じですね。
さて、そのスペイン巡礼の旅、正確にはEl Camino de Santiago de Composteraと言います。
イベリア半島で布教していたキリストの12使徒の一人聖ヤコブ(スペイン語だはサンティアゴ、フランスではサンジャック、
英語だとセント・ジェームス)は、AC45年エルサレムに戻ったとき、時の王ヘロデにより惨殺されたが、
その遺体を弟子たちが小船に乗せ、着いたところがスペインのガリシャ地方。
ここに埋葬されていたが813年に彼の墓と遺体が発見され、今サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂には
このとき見つかった遺体が安置されている。
その為ちょうど8C~15Cに起こったレコンキスタの支柱となって世界各国から多くのペレグリーノ巡礼が
詣でるようになったんです。
最盛期の11Cには年間50万人を越えたと言う。
巡礼の道にはpepeも歩いた世界遺産のフランス人の道のほか、北の道、海の道、銀の道、そしてポルトガルからの道と
5つの道がありますね。
毎年10万以上の巡礼たちが来るんですが、アジアは年間400人位、その内韓国人が80%を占めてます。
日本人はまだまだ100人に届くかどうかと言われてますね。
多くはクリスチャンですが、信仰が目的でなくpepeみたいに今までの人生を振り返ってみようとの目的の
巡礼も多かったですね。
こんな感じですね。
Posted by pepe at 06:00│Comments(2)
この記事へのコメント
内藤やす子のハスキーな声も良いわねぇ~♪
Posted by ekko at 2013年03月05日 10:24
そうか?
内藤やす子だった!
内藤やす子だった!
Posted by pepe
at 2013年03月05日 10:55
