2013年02月07日
スペイン巡礼の道を旅して・・・序
正式にはエルカミーノ デ サンティアゴ デ コンポステーラと言います。
キリストの12使徒の一人聖ヤコブの遺体が安置されているスペイン西端のガリシャ地方にある世界遺産のサンティアゴ デ コンポステー
ラの大聖堂に詣でるために、英国、北欧、ロシアをはじめヨーロッパ各地から歩く巡礼の旅。
それがこのエルカミーノ デ サンティアゴ デ コンポステーラです。
いくつかのルートがありますがpepeは世界遺産に登録されているサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから出発する
約900kmのコースに2008年の秋チャレンジしました。
因みにカミーノとはスペイン語で「道」のこと、途中会ったペレグリーノ(巡礼)の中には、ノルウェイから8ヶ月前に
出発し、この後もサンティアゴから折り返し、世界三大巡礼地の残りのローマ、エルサレムを回って、
2年後に戻るという途方もない人がいたり、パリから1600km、スイスから1500kmの人はざらと言う、
信じられないスケールの世界一の巡礼のコースです。

毎年世界各国から10万人のペレグリーノが歩いており、残念ながらアジアからは年間300人程度、日本人は
100人程だと言う事です。
日本を出発したのが2008年9月16日、成田からエールフランス機でパリへ、パリからフランスが誇る新幹線
TGVで、ボルドー、サンジャン、バイヨンヌと3度も乗り換えサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに到着したのは
日本を出てから36時間後でした。

田舎の駅そのもの、駅を降り巡礼事務所を尋ね尋ね、もちろんフランス語で・・・そこで初めて通行証なる
クレデンシャルを発行してもらいました。
ここではあなたはクリスチャンですかと聞かれ、pepeは正直にノンと答えましたがお咎めはありませんでしたよ。
このクレデンシャル、巡礼のパスポートみたいなもので、毎日泊まるアルベルゲと言う巡礼宿や教会でもらう
スタンプ帳なのですが、これが最終的にはコンポステラーノと言われる大聖堂でもらえる終了証に必要なわけで、
実際pepeもパスポート、クレジットカードと同じようにいつも肌身離さず持ってましたね。
巡礼事務所から日本から予約していた最初のアルベルゲに早速チェックインしたのですが、
同じ部屋には、オランダ、フランスと二組のご夫婦と一緒という今になって思うと最高の待遇でした。
夕食は15人のペレグリーノと一緒。

スペイン語、オランダ語、フランス語、イタリア語ともうチンプンカンプン・・・・・
ここはザビエルの所縁の地であることを前もって知ってたのでお菓子のザビエルを土産に持って行ってたので
皆さんに喜ばれました。
さて、翌日から巡礼の旅が始まりました。
1ヶ月近い巡礼の旅の記録を生きてるうちに記録に残そうと毎日このブログにアップしようと思います。
退屈なときに、ご覧下さいね。
きっとあなたも行きたくなりますよ!
では、ブエン カミーノ!!
本日まで走った月間距離102km 通算距離77767km
キリストの12使徒の一人聖ヤコブの遺体が安置されているスペイン西端のガリシャ地方にある世界遺産のサンティアゴ デ コンポステー
ラの大聖堂に詣でるために、英国、北欧、ロシアをはじめヨーロッパ各地から歩く巡礼の旅。
それがこのエルカミーノ デ サンティアゴ デ コンポステーラです。
いくつかのルートがありますがpepeは世界遺産に登録されているサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから出発する
約900kmのコースに2008年の秋チャレンジしました。
因みにカミーノとはスペイン語で「道」のこと、途中会ったペレグリーノ(巡礼)の中には、ノルウェイから8ヶ月前に
出発し、この後もサンティアゴから折り返し、世界三大巡礼地の残りのローマ、エルサレムを回って、
2年後に戻るという途方もない人がいたり、パリから1600km、スイスから1500kmの人はざらと言う、
信じられないスケールの世界一の巡礼のコースです。

毎年世界各国から10万人のペレグリーノが歩いており、残念ながらアジアからは年間300人程度、日本人は
100人程だと言う事です。
日本を出発したのが2008年9月16日、成田からエールフランス機でパリへ、パリからフランスが誇る新幹線
TGVで、ボルドー、サンジャン、バイヨンヌと3度も乗り換えサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに到着したのは
日本を出てから36時間後でした。

田舎の駅そのもの、駅を降り巡礼事務所を尋ね尋ね、もちろんフランス語で・・・そこで初めて通行証なる
クレデンシャルを発行してもらいました。
ここではあなたはクリスチャンですかと聞かれ、pepeは正直にノンと答えましたがお咎めはありませんでしたよ。
このクレデンシャル、巡礼のパスポートみたいなもので、毎日泊まるアルベルゲと言う巡礼宿や教会でもらう
スタンプ帳なのですが、これが最終的にはコンポステラーノと言われる大聖堂でもらえる終了証に必要なわけで、
実際pepeもパスポート、クレジットカードと同じようにいつも肌身離さず持ってましたね。
巡礼事務所から日本から予約していた最初のアルベルゲに早速チェックインしたのですが、
同じ部屋には、オランダ、フランスと二組のご夫婦と一緒という今になって思うと最高の待遇でした。
夕食は15人のペレグリーノと一緒。
スペイン語、オランダ語、フランス語、イタリア語ともうチンプンカンプン・・・・・
ここはザビエルの所縁の地であることを前もって知ってたのでお菓子のザビエルを土産に持って行ってたので
皆さんに喜ばれました。
さて、翌日から巡礼の旅が始まりました。
1ヶ月近い巡礼の旅の記録を生きてるうちに記録に残そうと毎日このブログにアップしようと思います。
退屈なときに、ご覧下さいね。
きっとあなたも行きたくなりますよ!
では、ブエン カミーノ!!
本日まで走った月間距離102km 通算距離77767km
Posted by pepe at
18:30
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2013年02月07日
文豪ヘミングウェーが泊まったホテルに泊まったよ・・・
2006年秋、南フランスのサンジャンピエドポーから歩き始めた巡礼の旅、初日は最初の難関ピレネー越え、
殆どのペレグリーノ(巡礼)は疲れ果てて、スペインのロンセスバージェスで泊まるのですが、pepeはここより3km先の
ブルゲーテまで夕闇の中を歩きました。
実はこのブルゲーテには、かって文豪ヘミングウェが鱒釣りに来たとき泊まったホテルがあるんですよ。
町に入るとすぐわかりましたよ。

そう、オステリア・ブルゲーテです。
恐る恐る「ティエネ アビタシヨン リエベ?」と聞くと「シー」、オーラッキー、空いてました。
ただヘミングウェーが泊まった部屋は25号室、pepeが案内された部屋は15号室でした。
ホストに尋ねるとスペイン人らしくニコニコ笑いながら案内してくれました。

彼が弾いたピアノ。

彼が滞在中食事をしたテーブル。
もう興奮したpepeは駄目もとでこのテーブルで食事をしてもいいかと聞くと「シー」だって!!

地元ナバラのワイン。
そして

地元の名産でっかいアスパラと、ナバラ風の鱒と生ハムのオーブン焼きを食べましたね。
翌朝「ブエン・カミーノ」の挨拶を背に巡礼2日目が・・・・
この巡礼の道、おなじ所に2日泊まることは禁止されてるんです。
デジカメでなくビデオで撮ってたんで、昨日久し振りに見てて途中ストップして撮ってみました。
もうまた行きたくてウズウズしてます!!
殆どのペレグリーノ(巡礼)は疲れ果てて、スペインのロンセスバージェスで泊まるのですが、pepeはここより3km先の
ブルゲーテまで夕闇の中を歩きました。
実はこのブルゲーテには、かって文豪ヘミングウェが鱒釣りに来たとき泊まったホテルがあるんですよ。
町に入るとすぐわかりましたよ。
そう、オステリア・ブルゲーテです。
恐る恐る「ティエネ アビタシヨン リエベ?」と聞くと「シー」、オーラッキー、空いてました。
ただヘミングウェーが泊まった部屋は25号室、pepeが案内された部屋は15号室でした。
ホストに尋ねるとスペイン人らしくニコニコ笑いながら案内してくれました。
彼が弾いたピアノ。
彼が滞在中食事をしたテーブル。
もう興奮したpepeは駄目もとでこのテーブルで食事をしてもいいかと聞くと「シー」だって!!
地元ナバラのワイン。
そして
地元の名産でっかいアスパラと、ナバラ風の鱒と生ハムのオーブン焼きを食べましたね。
翌朝「ブエン・カミーノ」の挨拶を背に巡礼2日目が・・・・
この巡礼の道、おなじ所に2日泊まることは禁止されてるんです。
デジカメでなくビデオで撮ってたんで、昨日久し振りに見てて途中ストップして撮ってみました。
もうまた行きたくてウズウズしてます!!
Posted by pepe at
06:38
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